【27クラブ(27 Club)】カートコバーンの生い立ち

27クラブ(27 Club)」というのを知っていますでしょうか。

著名なミュージシャンの中には薬物やアルコールなどにより「27歳」で他界した人が多く、欧米では彼らのことを「27クラブ(27 Club)」と呼んでいます。

今回はその「27クラブ(27 Club)」の中の一人、物凄いイケメンのNirvanaのギター・ヴォーカルである「カート・コバーン」についてお話していきます。

幼少期

1967年2月20日 アメリカ ワシントン州アバディーンに生まれます。

ちなみに本当の呼び名は「カート・コベイン」

幼い頃は、絵と音楽好きなかわいらしい男の子だったといいます。音楽はビートルズが好きで、幼稚園では絵を良く褒められたりなどしたみたいです。

カートはインタビューで「少年時代は最高だった。両親が離婚するまでは」と語ってます。

離婚から始まった悲劇

9歳の時に両親が離婚してしまい、精神的に大きなダメージを受けます。

「喉から手が出るほど、一般的な普通の家庭が欲しかった」とインタビューで語ってます。

離婚後、最初は父親の元へ引き取られ、トレーラーハウスの中で、ブラック・サバス、レッド・ツェッペリン、エアロスミスを聴いて育つのですが、途中で彼らの音楽が性差別的でSEXの事ばかり歌ってる事に気づき、メロディーは好むが歌の内容にイラ立ちを覚えます。

父親は再婚し、義理の母と彼女の2人の子供が新しい家族になったのですが、上手く馴染めず「怒り」と「疎外感」を覚えるようになり、

この頃からカートは内向的で、引きこもりがちな少年に変わってしまい、家庭環境にストレスを抱えうつ病になります。そんなカートを救いは、叔父から貰ったギターでした。

ですが、それでも「怒り」と「疎外感」に包まれた生活は続き、カートはドラッグを始め、父親から遠ざかるようになりました。

1982年、カートは父親の家を出て、数カ月間、親戚の家を転々としました。

その後、母親とその恋人の元へ行き、一緒に暮らしました。

めっちゃかわいい顔してますね

刑務所

カートは、地元のパンクバンド「メルヴィンズ」を見つけ、グループのリーダーであるバズ・オズボーンと仲良くなり、この時、カートはパンク音楽という自分が心から愛せる音楽と出会います。
オズボーンはセックス・ピストルズなど、他のパンクバンドを教えてくれました。

このあたりからカートはさらに多くの飲酒やドラッグに走るようになり、母親と衝突するようになりました。

友人と町のビルにスプレーでペンキを吹きつけ罰金と執行猶予を受けたり、

夜に酒を飲み、廃ビルの周りをさまよっているところを発見され逮捕され、数日間刑務所で過ごすなど、かなり荒れてしまいます。

この事件の間に、カートはオズボーンと他メンバーで自信初のバンド「フィーカル・マター」を結成し音楽活動を始めるのですが、オズボーンが活動を本気でしようとはしていないと察し、即解散しました。

Nirvana結成

友人の兄であったとクリス・ノヴォセリック出会います。クリスがセックス・ピストルズやラモーンズを好んで聴くことを知り関心したカートは、一緒にバンドを組むことを持ちかけましたが、気乗りしなかったクリスはこの申し出を断ってしまいます。しかし、カートから渡されたバンドのデモテープを聴き、彼の音楽の才能に感銘を受け、遂にバンド結成に同意した。これがNirvana(ニルヴァーナ)の始まりになります。(クリスはベース)

ドラマーがまったく安定せず数回メンバーチェンジを繰り返しますが、一旦チャド・チャニングに落ち着きます。

この時に、小さなインディーレーベルのサブ・ポップから最初のシングル『Love Buzz』リリースしました。

後に、アルバム『ブリーチ』をリリースしますが、あんまり売れず、カートは、サブ・ポップに対して不満を持つようになります。その不満は、同じ契約であるはずの他バンドのプロモーションの方に、会社は熱心だと感じていたのです。

コートニー・ラブ

バンドが過渡期で辛い中、カートは後の妻となるロック歌手コートニー・ラブと出会います。二人はすぐお互いに興味を持ちますが、カートが好意を確かめる為に距離を置くなど、変な期間を乗り越え交際します。(よく二人でドラッグしてるところを目撃された情報あり)

 

左から2番目の女性がコートニーです。

『ネヴァーマインド – NEVERMIND – 』大ヒット

ドラマーのチャド・チャニング技術的な問題でクビにして(カートもそんなにギター上手くないのに)オーディションを経て、デイヴ・グロール(現在Foo Fightersのギターヴォーカル)をドラマーに迎え、Nirvana(ニルヴァーナ)の最終形態が出来上がります。

1990年に、メジャーレーベルであるゲフィン・レコードと契約しメジャーデビュー。1991年、後にNirvana(ニルヴァーナ)の代表曲となる「Smells Like Teen Spirit」をシングルとして先行リリースし驚異的な売り上げを誇り。その後すぐにリリースした2ndアルバム『ネヴァーマインド – NEVERMIND – 』はマイケル・ジャクソンの『デンジャラス』を引きずり落としてBillboard 200で1位を記録。半端ない衝撃をアメリカに与えました。

この時に「グランジ」という言葉が世に浸透しました。 

ですがこの『ネヴァーマインド – NEVERMIND – 』は、本人達がやりたい音楽ではなく、「売れ線」を意識したアルバムであり、後々カートはこのアルバムを嫌います。

ストレス

「売れたいが、売れるような曲は大嫌い。」とカートは語ったことがあります。

実はカート、ロックスターを否定する人だったのです。金が欲しくて、ゲフィンに移りブッチウィグの売れ線ポップグランジアルバム『ネヴァーマインド – NEVERMIND – 』は5000万枚売れ、ロックスターを否定してた自分がロックスターになってしまいました。

自分の信念を裏切ってしまったように感じ、ヒーローとチヤホヤされることが苦痛で苦しんでました。あくまで僕の解釈ですが、後に出てくるアルバム『イン・ユーテロ(In Utero)に収録されている「Rape Me」でその思いを曲にしたのではないかと思われます。

また同時に、1986年の19歳の頃からの持病であった腹痛にも悩んでました。それこそ死にたくなるほど。腹痛の状態と精神状態は深く繋がってたと語られてます。

激しいストレス逃げる為カートはヘロイン使用に手を染めます。おおやけに出るインタビューでも、そんなに言って大丈夫なの?(笑)てくらいヘロインを使用した事を認めてます。

結婚

1992年2月、カートはコートニー・ラブとハワイで結婚しました。その年の8月には、娘フランシス・ビーンが誕生するのですが、実はこの時もカートとコートニーは、一緒にドラッグを使用。

コートニーが妊娠中、ヘロインを服用していたと雑誌に話してしまい、ソーシャルサービスに調査され、養育権を奪われそうになるレベルの裁判が起きますが、莫大な裁判費用を払い、娘の養育権を何とか守ることができました。

この頃にカートは、6年間持病で悩まされていた腹痛も治り、精神的にも身体的にも一旦回復したかのように思われます。(僕は、表に出さなかっただけと解釈してます。)

ですが、ドラッグ使用の件で喧嘩したりで夫婦の関係は悪くなってしまいます。

 

イン・ユーテロ(In Utero)

夫婦の関係が良くない中

1993年、Nirvana(ニルヴァーナ)は、前作『ネヴァーマインド – NEVERMIND – 』とは大きくスタンスを変え、自分達が本当にやりたい音楽をやる事に集中して作ったアルバム『イン・ユーテロ(In Utero)を発表します。カートは「昔表現できなかった音を表現できた」と語ってます。

ですが、歌詞の内容が過激である為徐々にメディアが「Smells Like Teen Spirit」を演奏するのを求め、またカートの表現したい音楽が表現しにくい場面が増えます。

自殺そして…

ある時からカートの行動には異変が起きます。

1994年3月4日、イタリア、ローマのホテルで、カートは大量の薬を服用して自殺を図ります。コートニーが目を覚まし、カートの異変に気付き、一命をとりとめます。遺書も残してたと言います。

コートニーは心配で、カートが自殺しそうだと警察に電話をかけました。

その電話で警察は動いてみると、カートは銃と薬を持ってクローゼットの中に閉じ込もっているところを発見されます。

コートニーはドラッグを止めるよう、カートを説得します。カートはロサンゼルスの薬物依のリハビリ施設に入りましたが、数日で脱走します

脱走する直前カートはコートニーに一本の電話をかけます。

忘れないでくれ、これから何が起こっても君を愛してる

その数日後、1994年4月5日、シアトルのワシントン湖大通り東に位置する自宅で、ヘロインを大量に摂取しショットガンで頭を撃ち抜き、カートは自殺しました。 

享年27歳。

遺書には、自身の苦悩、ファンに対する感謝、家族であるコートニーやフランシスには、「俺は、これからは祭壇にいるから。コートニー、フランシスを頼んだ。
俺がいなくなったら、もっともっと幸せに過ごすことができるフランシスの人生のために。
アイラブユー。愛してる。」と記されていました。

カートの死後、彼が残したものをどうすべきか?とNirvana(ニルヴァーナ)のメンバーと、コートニーは何年も争いました。

その長い争いは2002年9月に、解決したと発表され、

それまでリリースされていなかった『You Know You Right』を含む、ベストアルバム『Nirvana』がリリースされました。


僕の意見を少し言わせていただきます。

かなり最初のところですが、「カートの父親最悪かっ」と思いました。離婚を責めるつもりはありませんが、息子のカートに対しもっと優しさを与える事ができなかったのでしょうか。カートの疎外感を生んだ一番の原因は間違いなく「父親」。

この悲劇がなければ、Nirvana(ニルヴァーナ)の名曲は生まれなかったという事実、意見は確かにあると思いますが、その意見はカートに対してあまりにも情がないなと僕は思います。なんとなく僕は「幸せに生きて欲しかったな」と思いました。

読んでいただき、ありがとうございました。

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